みんな「そこそこ」なんだよ本当は。

2013年1月31日 20時59分 | カテゴリー: 活動報告

子ども・若者自立支援フォーラム2013in立川に行ってまいりました。
香山リカさんのお話を聞いてきました。

若者の自立支援ということでお話を伺いました。
私は若者のお話を聞くとき、自分に当てはまることが多くあります。たぶん9割近いです。今回のお話も、自分にも当てはまることが多かったです。
もう若者って感じでもない年ですが、ハローワークでは44歳までが若者だそうです。
ということは現役バリバリの若者からすると本当に今の「生きづらい」世の中をどうにかしてほしい。それと同時に自分は自己肯定感が低い割には仕事に夢を持ち過ぎていることも問題なのかなと思いました。そういう教育受けてきたんですよね。
「夢を持つ」というのは本当に必要なことなんだというのわかりますが、夢がなくたって生きてていいわけで。夢がかなわなかった自分だって十分幸せだと思うこともあるわけですよね。なんか夢持ってそれにまい進しないと駄目的な生き方をみんなしてて、夢持てないんだったら何か人の役に立つ仕事がしたいとか何らか理由つけて生きなきゃいけない、生きてるんだから自分の人生に意味持ちたいって感じになってませんか?
自分が夢に挫折した人間だからわかるんですが、夢なんか持てなくて、たいして誰の役もたってなくて、人生に意味ないとか思っちゃうわけですよ。それってすごいおバカだったなと今の自分だと思うわけです。
生きてるだけで役に立ってるんです。人は誰でも。
生きてる意味ない人間なんていないんですよね、当たり前のことですが。
私はどんなに嫌な人間に会うことがあってもそれも「必然」だと思いたい(なかなか思えなかったりしますが・・・。)
嫌なやつだなと思ったり、こいつやる気ないなぁと怒ることがあってもそこはあたしの視点でしかないから、他の人からはその人はかけがえのない人だったりするわけですよね。
私は私の視点でしかない。ってみんなドライに考えなきゃいけないんじゃないかなぁとか思ったりするわけです。
それでそのドライな感覚は自分自身をみるときにも必要な視点だなと感じるのです。
めちゃくちゃ幸せとか、ものすごい優越感とか普通にあんまり感じない。
むしろいやだなとか疲れたとかそういうマイナス感覚ばっかりなのが普通なんじゃないかって。そんな中で少しいいことあったり、お礼言われて嬉しくなったりっていう本当に些細なこと感じられる力がいま弱いんじゃないかなって思います。
人間そんなずば抜けてるひといない。ほとんどの人はみんな「そこそこ」で生きてるんですよね。
お金稼げないから自分は駄目だなんて思わないで欲しい。普通に働くことすらできないから自分は駄目だなんて思わないで欲しい。

でも、そこで問題なのは、とにかくそこそこお金がもらえて、普通に生活できるような社会をつくらなきゃいけない。人を好きになったらその人と自分の給料出せばそこそこ生活できるようにならなきゃいけない。子ども欲しいと思ったら、ちゃんと生んで育てられる環境をつくらなきゃいけない。そこが税金貰ってる人たちがやんなきゃいけないことなんだなと改めて実感しました。

「そこそこ」であることが幸せだとおもえるようなあったかい社会を作りたい。
そう思った一日でした。